彼の歌を聴いたのは、その日が初めてだった。
友人に誘われて訪れたUnderNorthZawaの一角にある狭いライブハウス。
どこ北の番長たちがバンドを組んだという噂は耳にしていたが、大した興味も無かったので音源を聴いたことは一度もなかった。
なにせ、友人が彼らのファンだったのもチケットの話をされるまで知らなかったくらいなのだ。
DOKONJO FINGER──通称どこゆびは、最近は色んなフェスにも出演していて知名度が上がってきているらしい。その為、チケットも以前に比べて取り難くなっているそうだ。
そんな中で勝ち取った代物だが、友人のツレが都合悪くなってしまい一枚余ってしまったから一緒に行かないか、と誘われたのが事の顛末だ。
特に予定もなく暇だったので友人に付いていくまま会場入りしたが、整番が早目だったこともあり割といい場所を取れた。
初見のミューモンよりも以前からのファンがここ取った方が良いのでは? と思わなくもないが、友人の熱気に負けてその場に居ることにした。
こいつはどうやら布教したいらしい。
本当ならば、ライブの前にCDを借りるなり何なりして予習をしておくべきなのだろう。
だが、興奮気味にステージを見つめる隣の男がチケットの話を持ち出して来たのが入場の一時間前だったのだ。
移動時間とか入場時の混み具合とかを考えると、そんなギリギリでは情報を入れるタイミングなど持てる訳がなかった。
殆ど何も知らないままなので、曲の方向性すら分かっていない。
チケットの代金は要らないって話だし、好みじゃなかったとしてもこちらに大した損は無いが。まぁ、流石に全額タダって訳にもいかないので晩飯くらいは奢ろうと思う。
コインで交換した美味しすぎる水を飲みながら、だらだらと開演を待つ。暫くはざわついていた会場も、ライトが落とされ始めると同時に静かになっていった。
一度真っ暗になった後、スポットライトが舞台中央に立つ小柄な少年を照らし出す。
「区立DO根性北学園から来ましたDOKONJOFINGERです! お勧めは唐揚げ弁当煮卵付き!」
なんで最初にするのが弁当のお勧めなんだよ、と思ってしまったのは仕方が無い。
曲が始まり、その歌声に惹かれたのは直ぐに理解した。
客席から上がる歓声と真っ向から戦うような、力強い歌声。何者にも負けはしないという意志に溢れたそれは、どこか危うさも含んでいて。
その全てが、衝撃だった。
ただ一度の出会いが、人生を変える事もあるのだと理解した瞬間だった。
ライブ終了後は物販にあったCDをすべて買い、友人との晩飯の際には今までの情報を必死に聞き出すくらいには嵌ってしまっていたのだ。
その衝撃の出会い以降、次のライブが決定したと聞けば即時にチケット争奪戦に参戦した。
あの日都合が悪くなったという奴には申し訳ないが、連れて行ってくれた友人には感謝しかない。
今までも音楽がない生活などは考えられなかったが、ここまでのめり込んだのは初めてだった。毎日が楽しくて仕方がない。
初めて参戦したライブから数か月が経ったある日のこと。そろそろ真強敵を名乗っても良いんじゃないかなって思えてきた頃に開催されたライブの帰り道で、どこゆびメンバーに突撃している女の子たちを見掛けた。
頭に鉢巻を着け、手には差し入れと手紙を持っている姿から、恐らくは出待ちをしていた真強敵なのだろう。
どこゆびがライブ中以外でファンに応対している姿は初めて見るので、思わず物陰に隠れて見守る態勢に入ってしまった。適当に積まれた荷物は長年放置されていたのか、埃を被り微妙に黴臭いがそこは我慢するしかない。
こっそり様子を伺うと、メンバーそれぞれのファンがついているようで順番に相手をしている姿が見えた。ファンを無碍にするタイプは居ないんだなぁ、となんとなくほっこりする。
ヤス君はどうなのだろうか、と視線を向ける。すると、彼は少しはにかみながら手紙を受け取っていた。きっと純情なのだ。
「かっわ……」
思わず声が漏れた。なんだあの可愛さ。
お持ち帰りしているようなタイプではないと予測していたが、それが裏付けされたことに嬉しさを覚えた。あの調子では彼女も居なさそうだと胸を撫で下ろす。
「ん?」
なんで野郎に彼女がいなくてほっとするんだ?
しかも可愛いってなんだ、可愛いって。
自分自身の感情に疑問を抱きながら、帰路についた。
その次のライブから、黴臭い物陰に隠れてどこゆび達を見るのが終演後の恒例になった。
あまり行儀の宜しくない行いだとは理解しているが、ヤス君がライブハウスを後にする姿を見るだけだ。家まで追跡しようって魂胆でもないし、近隣に迷惑を掛けてる訳でもないのでこの程度は大丈夫だと自分に言い訳をする。
そもそも、彼はライブの最中に家業の宣伝をしているので、家の場所については周知の事実だ。
あの女の子たちみたいに、手紙を書いてみようとかは考えなかった。
ただ、見ているだけで良かった。
幾度か見ている内に、ヤス君の行動には一定のパターンがあることに気付いた。
一番多いのは、ハッチン君がご飯に誘ってくるのをばっさり断り、そのまま帰宅するパターンだ。ジョウ君とは、軽く会話をしてライブハウス前で別れるのが定例になっている。
極稀に、本当にたまーに、四人で連れ立ってご飯に行くこともあるみたいだった。その時には「ハッチン君よかったね……」と謎の感慨を抱いている。
そこそこに回数が多いのは、双循君のバイクにダンデムしている姿だ。
あれは家まで送って貰っているのだろうか?
友人からの情報によると、彼はヤス君家の唐揚げが好きらしいので、送ったついでに買って帰っているのかもしれない。
めちゃくちゃ美味しいもんな、その気持ちは分かる。
唐揚げ気分が抜けなくなり、どうしても食べたくなった為に明日の夕飯は唐揚げ弁当にする事にした。勿論、買いに行くのはヤス君家の弁当だ。
翌日の夕方、弁当屋に向かうと挙動不審になる事態が起きてしまった。普段はお母さんと思しき綺麗な女性が対応してくれていたが、今日はちょっと違っていたのだ。
ピンクのエプロンを身に着けたヤス君が、目の前に居る。
よく店の手伝いをしているって話は知っていた。しかし、生活のタイミングが合わないのか今まで一度も会った事は無かったのだ。
淡々と対応する推しが目の前にいる状況にどきまぎする。
代金を支払い、釣りと弁当を受け取る。その際、思い切って声を掛けた。
「あっ、あの!」
「?」
「いつもライブ行ってます! えと、あの……。お、応援してます!」
「……ありがとう、ございます」
ふわりと零れた微かな笑顔に心臓が締め付けられる。何故か脈も速くなり、熱を出したかのように顔面が熱くなった。多分、真っ赤になっている気がする。
これは、ステージと客席ではない距離で顔を見れた上に会話など出来てしまったからだ。
ヤス君を直視出来ず、視線をうろうろさせる。カウンターの奥に、予約とメモが貼られた特上の唐揚げ弁当が目に入った。
「ま、また買いに来ます!」
このまま店先に居ると不審者ムーブをしてしまいかねないと思い、あたかも逃げるかのように弁当屋を後にした。その際、見慣れたバイクが視界の端を過ぎった気がしたが、振り返る余裕なんてものは存在していなかった。
きっと、変な客だと思われただろうなぁ。
それから、特に何かが変わることはなかった。
弁当屋で出会えたのも、たまたま練習が休みだったとかそういう理由だったのだろう。あの日以降は、何度買いに行ってもヤス君に遭遇出来ていなかった。
変化がないということは、やることも変わらない。
本日のライブ終了後も、いつもと同じように裏口側にある物陰に隠れた。
どこゆびは基本的に同じハコを使っているから、隠れるのも段々と慣れてきてしまっている。碌でもないスキルだ。
今居る場所は、放置された荷物に隠れてしまえばライブハウス側からは気付かれることは早々無い場所だった。こちらからも若干見え難くはあるが、そこは妥協するしかない。そもそも褒められた行為じゃないしな。
定位置に座り込んだ数分後、先ずはハッチン君とジョウ君が扉から出てきた。二人で和気藹々としながら、後ろを気にせずに立ち去っていく。あ、今日は送って貰う日なのか。
何故かバイクに乗せて貰う時には、決まって双循君とヤス君が揃って最後に出ていた。
この二人の組み合わせは、どうしても唐揚げを連想してしまう。なんか唐揚げ食べたくなってきたな。帰りに買ってくか。
唐揚げに思いを馳せていると、勢い良く扉が開いた。そこから、金色と待ち望んだ青が現れる。
内容はよく聞こえないが、なんか言い争っているように見えた。元々対立していたから喧嘩が絶えないって噂もあったが、あれも真実だったのか。
いつも以上に息を潜めて二人のやり取りを見守る。まさか解散……とかならないよな。先に帰った二人はほのぼのしてたし。
そんな事を考えていたら、双循君がヤス君を壁際に追い詰めていた。少しこちらに近付いた為か、会話の内容も聞き取れる。
「おい、双循!」
「ここなら他の奴等はおらんけえ、大丈夫じゃ」
「そういう問題じゃ……ん……っ」
目の前で繰り広げられた光景が信じられなかった。体格の良いドラマーが、小柄なボーカルを壁に押し付け覆い被さるようにしてその唇を塞いでいる。
キス、だよなあれ。どう見てもキスだよな。幻覚見てるとかじゃないよな。
「ん……ふ、ぁ……」
最初は胸あたりに置かれていたヤス君の腕が、双循君の首に回される。ぎゅっと引き寄せるようなそれは、恋人の行動にしか見えなかった。
それに応えたのか、双循君の手がヤス君の後頭部に添えられる。ヤス君が背伸びした為にやりやすくなったのか、角度を変えて何度も合わさっていた。
長いのか短いのか。どれだけの時間そうしていたのかは判らないが、双循君がヤス君を解放した。
「急になんなんだよ……」
「───」
「ば……っ馬鹿かてめえは!!」
双循君がヤス君の耳元で何かを囁いていた。真っ赤になって反論する様はいちゃついてる馬鹿っぷるにしか認識出来なくなってきていた。喧嘩が絶えないって、痴話喧嘩の間違いなのではないだろうか。
どこか遠い目になりながら眺めていると、緑色の目がこちらに向けられた。敵愾心の込められた視線に、背筋が凍る。
ここは物陰になって向こうからは見えない筈なので、勘違いだと思いたい。本気の敵意があった気がするけど。
双循君の迫力に足の力が抜け、地面にへたり込む際に荷物にぶつかり派手な音を立ててしまった。やばい。今日が命日かも知れない。
「……今、音が」
「野良猫かなんかじゃろ」
荷物の隙間からそっと覗くと、緑の双眸がこちらを睨み据えながらヤス君に対し空とぼけている様子だった。どうやらこちらの存在を気付かせる気はないらしい。
これは、完全に警告だ。
ヤス君の腕を掴み、この場から引き離すようにして駐輪場の方角に歩いていく背を座り込んだまま見送った。
そうか。たまにあったあの光景は、送って貰うのではなくお持ち帰りされてたのか。
完全に人気が無くなった頃にのそりと立ち上がり、糸の切れた人形のようにふらついたまま、ぽてぽてと家路を辿った。脳裏には、先程の光景がくるぐると回っている。
他人の、ましてや男同士のキスシーンなど生で見るのは初めてだったが、それとは違う次元でショックを受けている自分に吃驚しつつどこかで納得もしていた。
「好き、だったのかなぁ」
そういう意味で。
ぽつりと呟いた。音楽が好きなのも、声が好きなのも、可愛いと思ったのも事実だし、それは今も変わらない。だけど、それだけじゃなかったのだろう。
自覚すらしていなかった恋心は、誰も居ない夜道に吸い込まれ消えたのだった。
終