「とりっく・おあ・とりーとにゃー!」
クロウが事務所のドアを開いた途端、耳に響いたのはハイテンションとしか表現出来ない喜色を露わにしたシアンの声だった。見慣れない衣服に身を包み、満面の笑みを浮かべている。
「何してんだ?」
「にゃ? クロウちゃん聞いてないのにゃ?」
週末に開催される、事務所上げてのライブでの衣装合わせだと、魔女衣装──寧ろ魔女っ娘っぽいが、クロウはその手の知識が薄かった──に身を包んだシアンが説明をしながらその場でくるくる回った。
どうやら、新しい衣装を見せつけたいらしい。
着飾った女の子には、可愛いだの似合ってるだの誉め言葉を贈るべき場ではあるが、クロウにはそんな芸当ができる訳がなかった。
年頃の少年として気恥ずかしい上に、シアンを撮り続けるレトリーが居たからだ。下手に犬の尻尾を踏む真似はしたくない。
プラズマジカは魔女で揃えているのか、レトリーも似たような魔女服を着込んでいる。
「シアンのイタズラ……! されたいけど、くれるのは手作りお菓子だって言うしいっそ両方欲しいしシアン可愛いし……ああもうシアン可愛い……流石ボクのシアン……っ」
デュフフフフ、と不気味な笑いが聞こえるが、レトリーの奇行は日常風景のひとつなのでスルーする事にした。
内心、あれを気にしていないシアンの神経って結構凄いな、とはちょっと思ってたりする。
週末の事務所上げてのライブといえば、所属バンド二組共に共通するコンセプトを付けると言っていた。どうやら、ライブの日付がハロウィンに近い事もあり、そっちの方向になったらしい。
「シンガンの衣装は隣の部屋に置いてるから、着替えてサイズ確認してってさ。早くしないと、練習する時間なくなるよ」
レトリーがシアンを撮る手を止めず、クロウに視線さえ向けずに告げる。さっさと二人きりにしろ、という本音がだだ漏れだが、何かヤバイ事態にならないか若干不安になった。
だが、瞬時にそれはないな、と否定する。肝心なところでヘタレっぽいし、相手はある意味で最強を誇るシアンだ。大丈夫に違いない。
クロウはそう確信し、二人に背を向けて隣室に向かったのだった。
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聞いた部屋のドアノブに手を掛け、回そうとしたがガチャリと引っ掛かった音がするだけで開かない。着替えは中にあると言っていたのだから、内側から鍵が掛けられているのだろう。
恐らく、他のメンバーが来て着替えているのだ。
ロムは仕事が未だ終わっていない筈の時間だし、ヤイバはバイトが遅番だと言っていた。残る可能性は、ただ一人だ。
「やいヘタレオン! ここ開けやがれっ」
中に向かい声を掛けながら、激しくドアを叩く。直後、部屋の中からガタガタと物にぶつかる音がした。何かが倒れたような、一際大きな音もしてくる。着替えるだけの場所で一体何をしているのか。
この部屋は、普段は倉庫代わりに使われている部屋だった。
壊れたアンプや使っていない楽器、過去の書類が詰められた段ボール箱などが無造作に置いてる。それらを倒し、当たってしまうと怪我をする可能性がある。
平気だとは思うが、一応はバンドメンバーにして恋人。心配をしてしまうのは仕方がない事で。
「アイオーン?」
「し、小動物……!? ま、待てあと半時は神の領域を侵すな!」
ドア越しに叫ばれる。久々に聞いた声量に、続けようとした言葉を失った。が、あまりもの内容にクロウの口から文句が発せられる。
「なにフザケた事ほざいてんだよ。今日はプラマジも居るからそんなに使え無ぇんだぞ。貴重な時間無駄にすんな!」
スタジオでの練習時間を盾にする。流石にこの言葉は聞いたのか十数秒経ってから鍵が外された。
ドアを開けて中に入ると、アイオーンとおぼしき白黒の塊が部屋の隅にある。普段と違う光沢を放つ布地に、アイオーンが既に衣装を着ているのだと察せられた。
「やいヘタレオン。白ニートワカメからワカメパンダにでもなったのかよ」
「…………」
返事もしない塊は放置して、クロウの名前が書かれた衣装を手にする。
広げてみると、黒のベストとスラックス、白シャツに赤いリボンタイ。リボンタイと同色の裏地が付いた黒マントとミニハットという所謂ゴシック・ファッションだった。
取り揃えられたラインナップからして、シンガンのテーマは吸血鬼らしい。
中々好みの衣装に、尻尾が機嫌良く揺れる。たまに変な仕事を取ってくる社長だが、この手のセンスは割とクロウの趣味に合っていた。
衣装のサイズは、全てのアイテムが丁度良いものだった。前回の合わせから成長していないか期待していたが、その夢は無残にも砕け散り非常な現実を突き付けていた。
着替え終えたが、一向にロムとヤイバが来る気配がない。部屋のホワイトボードにバランスを見るために全員揃った状態でも確認すると書かれている為、クロウもアイオーンも元の服装に戻れなかった。
ふと、アイオーンはどんな事になっているのか興味が湧いた。マントを翻し、白黒の置き物に近付く。
「やいやい! オマエの衣装はどうなんだよ」
動かないかと思いきや、声を掛けただけでアイオーンは立ち上がった。その姿は、やはり新しい衣装のもの。
全体的にクロウと同じデザインだが、ポイントの色が赤ではなく紫になっている。黒と紫という配色は、普段と大して変わりがないが、露出も無くきっちりと着込んだ様は、どこか高貴な雰囲気を醸し出していた。
いつもライブに来ている家畜共のみならず、新しい家畜を増やせそうな見目だ。有り体に言えば、似合っている。
部屋に入る前、クロウに待てと言ったのは着替える為だったのだと予測しているが、この姿を見せたくないと逃げようとした理由が分からない。
「さっき待てって言ったの、着替えようとしてたからだろ」
「……闇の聖衣以外の姿など、忌まわしき呪いを呼び醒ます……」
いつものポーズを取りながらぼそぼそと呟く。
要は、嫌な記憶が蘇るから着たくなかったらしい。着替える前に気付けよ、と思わなくもないが今後の為にも克服してもらいたい。シンガンクリムゾンズは、いつか音楽の頂点を獲る存在になる予定だが、今は仕事を選んでいられない状態なのだ。
「それでライブやれば、良い記憶になるんじゃねぇか? 何が嫌なのか知らねぇけど、オレは結構カッコイイと思……っ」
うっかり口走りかけた言葉を封じようと、両手で自分の口を抑えた。瞬間、顔に熱が集まっていくのが自分でもよく分かる。
目の前にいるアイオーンの赤い目が、徐々に生気を取り戻していった。気の所為でなければ、生気だけじゃないナニカも含まれている。
あ、これはヤバイな。貞操的な意味で。
クロウが警戒するよりも速く動いたアイオーンによって抱き締められた。しかも、どうやったのか立ち位置が逆転し壁際に追い込まれている。
身長差が災いし、覆いかぶさるように顏を覗き込んでくるアイオーンから逃げる術を完全に失っていた。
「この闇の太陽神に賛辞を贈るなど、小動物にしては気の利いたことをする」
「褒めてねぇよ! ポロッと出ただけ……で……」
さらに墓穴を掘る。これでは世辞ではなく、本音だと白状したようなものだ。
アイオーンの尻尾が、嬉しそうにゆらゆら揺れている。ネコ科って機嫌いいとゆっくり振るってどっかで聞いたなぁ、と現実逃避をし始めるが、それはアイオーンによって阻まれた。
ぼんやりしていた間にイケメンと名高い顏が眼前に迫る。気付いた瞬間には、唇を塞がれていた。
「こっこんな場所で何しやがる!」
軽く触れ合わせる程度のキスだったからか、胸板を押すだけで簡単に離れた。軽いものにしたのは、アイオーンも拙い場所だと多少は自覚していたのだろう。そもそもするな、という話だが。
威嚇するように睨みつける。効果の程は定かではないが、アイオーンはクロウから視線を外した。
「貴様……俺の理性を試しているのか」
「はぁ? ちょ、だからヤメロって……」
再び近付こうとしてきたアイオーンの顏を両手で遮る。
それと同時に、ドアが勢いよく開かれた。予測していなかった音に、吃驚してしまい目の前にある体を全力で押した。ゼロ距離の攻撃はあまり威力もなく、アイオーンはたたらを踏むだけだったが、ぴったりくっついていた状況よりはマシだ。
「悪ぃな、遅くなっちまって。」
「ロムは突発残業というレジェンド・オブ・アクシデントがあったそうだ、拙者も似たようなものだが、次のバイトが来なくてな」
仕事場から直接来たロムとヤイバが、揃って部屋に現れる。これ幸いと、クロウはアイオーンが油断した隙にその横をすり抜けて出入口へ向かった。
「先にスタジオ行って用意してるからな!」
「ああ、宜しく頼む」
背後に掛けられた声に軽く応え、廊下を走る。心臓が激しく動いているのは、きっと走っている所為じゃない。
アイオーン相手に迂闊なことは言うもんじゃない。これからは、更なる用心をしようと心に誓ったのだった。
ちなみに、社長の確認が終わってもアイオーンは吸血鬼衣装を一日着たままだった。