弁当屋が予想以上に混雑していた為に、少しばかり遅れて入ったスタジオには双循の姿しかなかった。一人では練習する気も起きなかったのか、ドラムの椅子に座ったまま真剣な表情で何かの雑誌を読んでいる。
予想外の光景に、ヤスの肩からほんの少し力が抜けた。室内に歩を進め、担いでいたギターケースを壁に立て掛けながら双循に声をかける。
「悪ぃ、遅れた。……あいつらは?」
「クソ不死鳥がどごぞで倒れたから遅れると電話してきよってな。ハチ公はそれを拾いに行っとる」
「あぁ……」
いつもの理由か、と状況を把握する。
このメンバーはお互いの事情をそれなりに理解しているからか、多少の遅刻ではとやかく言われたりはしないが流石に行動不能なレベルにまでなるなら連絡しろ、というのが暗黙の了解になっていた。主にそれを行うのはジョウだったが。そして、それをハッチンが迎えに行くのも定例である。
その内集まるのが分かっている状態で、二人だけで練習を始めるのも何だか区切りが悪い。双循も読書を続けているし、少しばかり休憩させて貰おうとヤスは備品の丸椅子に腰を下ろした。
手持ち無沙汰になり、双循の手元に視線を向ける。
双循が読んでいる雑誌は、ドラムの影になっていて表紙の判別はつかなかった。無事に卒業した暁には大学への進学を考えているらしいので、その関係なのだろうか。
たまに、先のことを考える時があった。
この社会奉仕という名のバンド活躍が校長に認められれば、卒業が約束される。高校を卒業してしまえば、その先にあるのは各々が選ぶ道だ。
それは当たり前の話で、近い未来にヤス自身も進路を考えなければならないのは理解している。ヤスが進学を選ぶか就職を選ぶかは未だ不透明だったが、卒業が目の前にある双循はきっととっくの昔に決めている筈だ。
不意に、今日の客を思い出す。近所に住む大学生の男は、学校が忙し過ぎて趣味に没頭する時間など全く確保出来ないと言っていた。自炊する手間も惜しいので、近所に安くて美味い弁当屋があって助かっているといった話を袋に詰めながら聞いていたのだ。
その時は母の弁当を褒められた嬉しさが勝っていたので男の様子にあまり注視していなかったのだが、今思うと彼はいつ倒れてもおかしくなさそうな顔色をしていた。
流石にそこまで追い込まれるのは稀だとは思うが、大学生になった双循も忙しさに追われるようになる可能性があるのだろうか。
時期によっては家業も忙しくなるのは知っている。卒業という条件のないバンド活動に費やす時間は、双循が確保しようとするだけの価値は存在するのか。
もしもそれさえ無くなってしまったら──バンドメンバーとしてではない自分との関係も、一体どうなるのだろう。
取り留めもなく考えている内に、碌でもない思考に陥りそうになる。
「さっきから何読んでいるんだよ」
意識を切り替える為に、椅子に腰掛けたまま双循に声を掛けた。
ジョウがどの辺りで倒れたのかは知らないが、話をしている間に二人もやって来るだろう。練習が始まるまでの短い時間だとしても、このもやもやも多少は解消されるに違いない。
場合によっては、悪化するかも知れないが。
「これか? ワシらの前に使った奴が忘れていきおった雑誌じゃ。まぁ、下らん内容じゃが暇潰しくらいにはなったかのう」
双循が雑誌を閉じながらあっさりと答える。しかし、暇潰し程度と評する割には真剣に読んでいなかっただろうか。
胡乱な返答はあからさまに何かをはぐらかそうとしている気がするが、見知らぬ誰かの忘れ物となれば進路は関係なさそうだった。
それに対して安堵を覚えた自分に若干の動揺が走る。どうやら、自覚していた以上に気にしていたらしい。
「ふぅん。面白くはなさそうだな」
何となく落ち着かない気分を誤魔化すように、中身に興味の無い振りをして適当な返事をした。
「……ヤス、ちいと立ってみい」
「なんだよ」
つと、双循が椅子から立ち上がりヤスの元へと足を運ぶ。用事があっても呼び付けるばかりで、自ら動こうとしない男が珍しい事もあるものだ。
疑問を抱きながらも素直に立ち上がると、その隣に双循が並んだ。先程手にしていた雑誌はドラム横に設置されたアンプの上に置かれている。恐らく、そこが元々置いてあった位置だ。
ちらりと目を向けてみたが、判別出来た表紙はコンビニで売っているようなゴシップ週刊誌にしか見えなかった。
嘘を吐いた訳でもないのに、何故あのような返答をしたのか疑問が募る。
「…………」
疑問を抱くヤスを余所に、双循は己の顎に手を充てると目の前にある身体を頭の天辺から足元までをじっと眺め始めた。
何かを測るような視線に居た堪れなさを覚える。身の置き場に困り、思わず下げた足が丸椅子に当たった。
「な、なんだよ」
なんとなく感じた不穏な空気に、同じ言葉を繰り返す。
「……あれは十、いや十五程度を想定しとるな……。やはり無理があるかのう」
「は?」
何故いきなり駄目出しをされなくてはならないのか。
ヤスには心当たりが全くなかった。もしや原因はあの雑誌だろうか、と当たりをつけ再度アンプの上を見遣る。
ごちゃごちゃした装丁の中、芸能人のゴシップや巷で流行している品物の紹介などがある中に一際異彩な色で『冒険心いっぱい♡な二人への体位特集』の文字が踊っていた。
距離的に読めないと思っていたのだろうが、鳥系ミューモンの視力を舐めないで貰いたい。
これを忘れていった他のバンドも大概だが、こいつは何を真剣に読んでいるんだ。そして先程の視線は一体何を考えていたのか。正直なところ、碌でもない内容と推察出来るので聞きたくもないが。
そろそろ二人がやって来る頃合いだし、スタジオ代も決して安い訳ではない。練習時間を犠牲にしてまで喧嘩する内容ではない。
ただ、こいつは後で殴っても問題ないな、と心に決めた瞬間だった。