惚れ薬に手を出す話

  商機というものは、いつ如何なる場面でも訪れるものである。
 それは流動的で、機会に恵まれた時には即座に動けるよう準備ができていないのであれば愚鈍だとしか言いようがない。
 自分ならば臨機応変に出来るという自信もあるが、悪魔の狛犬と名高い男は前準備も怠らない性質であった。
 双循が目の前に置いている様々なグッズも、今後の商売を見越して入荷しておいた品々だ。注文書と納品された品を比べながら簡易な検収を行っていると、その中に注文した覚えのない袋があった。
 その中には「御愛顧くださったお客様へのサービスです」と記載された手紙と、小さな瓶が同封されている。御愛顧もなにも初めて使った業者なのだが、単に文面を使い回しているのだろう。
 顧客の情報も把握していないような業者だと見切りはつけるが、それはそれとして貰えるものは貰っておく。
 付属の説明書によると、どうやらこれはジョークグッズの一環らしい。
 飲んだミューモンを軽い興奮状態に落とし、それを恋情なのだと錯覚させるという効果が記載されている。所謂、惚れ薬といったものだった。
 成分からして実際には惚れる訳ではなく単に血行が良くなるだけのようだが、これをネタに商売するのも一興かと考える。遣りようによっては、恋愛成就のお守りとの相乗効果を狙えそうである。
 神社としては惚れ薬などという怪しげなものを表立って扱うことは出来ないが、ミューモンの口コミという名のステルスマーケティングで販路は拓けるだろう。
 計画の為には、どの程度のものなのか試してみたい。しかし、自分が口にするのは絶対に有り得なかった。
 誰かに飲ませるのは良いが、万が一のこと己に恋情(もどきのなにか)を向けられるのも面倒だ。経過観察をすることを考えるのならば、飲ませるのもその相手も手近なところで済ませてしまえばいい。
 双循にとっては明朗な、バンドメンバーにとっては傍迷惑でしかない結論に至ったのは必然だった。
 クソ不死鳥は食事制限とやかましいので除外。ハチ公ならば、蜂蜜にでも混ぜておけば簡単に飲むだろう。
 いっそその二人で完結させるか、と考える。ヤスは、選択肢に挙げなかった。
 否、挙げなかったのではない。そこに至るまでに決めたのだから、考える必要がなかっただけだ。
 僅かな引っ掛かりを覚えながらも、双循は実験体に飲ませるための準備を始めたのだった。

  ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 翌日の練習にて、双循は早速行動に移していた。
 お気に入りのハチミツ製品をリピートし続ける傾向がある蜂は、思った通りいつもと同じハチミツドリンクを持ち込んでいた。隙を見て、惚れ薬もどきを仕込んだ同じ製品と入れ替えてみたが、一向に気付く気配はない。このまま放置していれば無事に──飲まされる側は無事ではないが──効果を確認できるだろう。
 問題は飲んだ後にジョウだけを見せることだが、その間ヤスを呼び出してスタジオから出れば十分だろう。その間の様子は、盗聴器で伺えるだけで十分だ。
 休憩に入り、いつ飲むのかと様子を窺っていると隣でヤスが軽い咳をし始めた。

「なんじゃ、風邪か?」
「ここ乾燥してんだよ」

 乾燥した中で歌い続けていたからか、喉に負担が来たらしい。ロッカーの古いスタジオは設備も乏しく、加湿器など存在しないのだ。持ち込みに関しての規制は緩いので、必要とあれば持参出来るのだが、加湿器を持っている男子高校生なんぞここには居なかった。

「ファ! そういう時こそハチミツだろ!!」
「うぜえ。……けど、今は助かる」

 ハッチンがヤスにドリンクを手渡す。あれは──惚れ薬を仕込んだハチミツドリンクだ。
 確かに喉にはいい。薬さえなければ。
 思惑と違う方向に向かっているが、仕込んだのがバレるので止める訳にもいかなかった。

「てめー全部飲んでんじゃねぇよ!」
「あ、悪ぃ」

 ヤスが喉を鳴らしながら一気飲みし、空になった容器をハッチンに投げ返す様子を見届ける。
 不味いことになった。
 ドラムの椅子から立ち上がり、一直線にヤスの元に向かう。有無を言わさず細い腕を掴むと、引き摺るようにして出入り口へ向かった。

「買い出しに行くけえ、付き合え。おどれハチ公にドリンク返さんとならんじゃろ」
「そうだけど……お前がまともなこと言うのかよ」

 休憩を延長することに反対はないのか、ジョウもハッチンも買い出しに行こうとする二人を止めはしない。若干、不死鳥の目がこちらを訝しんでるが気付かない振りをした。
 スタジオの廊下を抜け、ヤスの腕を掴んだまま細い路地を歩く。最寄りのコンビニに行くには遠回りだったが、人通りのない道を選ぶとこのルートしかなかった。
 あのまま放置しておいても、被験者が変わるだけで効果の有無を判断するのは問題ない筈だ。しかし、それは嫌だと心底思ってしまったのだった。
 何故、と自問自答を繰り返す。

「……い、おい、双循!」
「なんじゃ」
「なんじゃ、じゃねえよ。いい加減に腕離せよ! それに、なんでわざわざ遠回りしてんだよ」
「ただの気分転換じゃ」

 これ以上文句を言われる前に腕を離す。手の中から消えた温度に、少しの寂寥を覚えた。
 それを表に出さないまま、ヤスの様子を検分する。説明書には興奮状態にするとあった筈だが、どう見ても平時と一切変わりがなかった。性的な興奮は元より、触れた限りでは体温が上がることもしていない。
 何もないとは考えながらも、取り敢えず本人の口から確認を取った。

「おどれ、体が熱いとかはないんか?」
「風邪じゃねえって言ってんだろ。もう咳も出てねえし、平気」

 所詮ジョークグッズでしかない代物で、本当になにかが起きるなんてある訳がなかった。内心で安堵の息を吐く。

「馬鹿は風邪ひかんというしのう」
「喧嘩売ってんのか」

 険を含んだ目でぎろりと睨まれるが、本気の敵意がない視線など愉快なだけだ。何の横槍もない、彼自身から生まれる感情を向けられる事実に充足を覚える。
 不意に、ヤスに薬を使いたくなかった理由を理解した。
 彼の目に他人が映るのも、薬などで引き起こされた熱で己を見られるのも嫌だった。ヤス自身が生み出す感情だけを受け取っていたかったのだ。
 それは、つまり。

「覚悟せえよ、ヤス」
「は!? 何をだよ!」

 一方的な宣言を送り、双循はさっさとコンビニへ足を踏み入れたのだった。

 

テキストのコピーはできません。