Can’t Help Falling In Love

 

 ひやりとした硬い感触が、手の平から全身に巡るような感覚にアイオーンは陥っていた。
 白い液体を満たした硝子瓶は思っていた以上に冷えていた為に、握っている手の平から体温を少しだけ奪っているのだ。その分、中身は温くなってしまっているだろうが、別にアイオーンが飲む訳ではないので頓着しないことにした。それに文句を言うのであれば、自分で取りに行かせれば良いだけの話だ。
 口に入れるなど言語道断、神に相応しい供物ではないと確信しているものが何故己の聖域にあるのかなど、考えるだけ無駄というものだった。
 カルシウムの恩恵にあずかれなかった小動物が実家から持ち込んできたものは、この牛乳だけに留まらない。
 作詞をする為のノートに、愛用のシャープペンシル。
 着替え一式などの生活用品も、気付けば部屋のあちらこちらで見掛けるようになっていた。
 徐々に増えていくそれらの荷物に対し、部屋が狭くなるなとは思ったが、それ以外には何の感想もなかった。在るのが当たり前になってしまって、今では無くてはならない存在になってしまっている。
 リビングを通り抜け、寝室のドアを開く。ベッドサイドの灯りだけが照らす部屋の中、アイオーンは迷うことなくその光源へと足を進めた。
 ベッドに腰掛け、持っていた牛乳瓶をサイドテーブルに置く。欲していた当人に視線を向けると、待ちきれなかったのか身を丸め寝息を立てていた。そのまま、観察するようにクロウの身体に視線を這わせる。
 普段から着けているチョーカーとブレスレットの先には、いつものチャームではなく細い金属製の鎖が存在していた。チョーカーから延びた鎖はベッドの足に、ブレスレットからは左右の腕を封じるように繋がれている。それ以外を身に着けていない状態で眠る姿は、少しの憐憫と、途方も無い欲情をアイオーンに抱かせた。  長身を屈め、クロウの肌に唇で触れる。先程、自らが付けた跡をなぞるように舌を這わせると、クロウの尻尾がふるりと震えた気がした。

 意識の浮上感じ、アイオーンはゆっくりと瞼を開いた。遮光カーテンが引かれ、暗闇に満ちた部屋の中には光源となるものは何も無い。ベッドヘッドに置いたスマートフォンを操作し、時間を見ると普段起きている時間よりかなり早い時間を表示していた。ベッドに潜り込んでから、片手で足りる時間しか経っていない。
「また、か……」
 スマートフォンを放り投げ、ベッドの上で体を伸ばす。平日のバンド練習は夜にしか行われない上に、働いていない身では起きる必要が皆無だが二度寝と洒落込む気は更々なかった。眠り直したところで、先程の夢と同じようなモノを見ると確信が持ててしまうからだ。
 ここ数日、アイオーンは夢見が酷くて仕方がなかった。生意気な小動物にして、同じバンドのメンバーであるクロウを犯す夢。
 シチュエーションは異なっていたとしても、須らく共通する点はそれだった。
 夢見が悪い、とは思いながらも悪夢と呼ぶには嫌悪感を然程覚えていない事実に、アイオーンの精神は千々に乱れていた。
 そもそも、何故このような夢を見始めるようになったのか。
 クロウがこの部屋を訪ねたことは幾度かあるが、泊まったことや、まして寝室に入ったことなど一度も無い。それを踏まえると、過去の整理などという夢の理屈は通用しない。
 ならば、願望だとでもいうのか。
 自意識を確りと持った今の状態で考えてみても、夢の中のようにクロウに対しどうこうしてみたいという欲求は沸き上がってこなかった。
 他のメンバーなど、考えるまでもない。寧ろ、考えたくも無い。
「闇の太陽神であるこの俺が、たかが小動物の夢ごときで眠れなくなることなど、あってはならないことだ」
 自身に言い聞かせるように、ひとりごちる。毎朝繰り返しているこの行為こそが、動揺している証だとアイオーン本人は気付いていなかった。

 

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

 

 あの夢を見始めるようになってから、アイオーンの目には以前とはクロウの見え方が異なるようになっていた。
 普段は口の減らない生意気な小動物だが、ふとした瞬間に何かキラキラしているような、そこだけ常にピントがあっているような感覚に陥ってしまう。うっかり可愛いなどと考えてしまう事もあるが、それはきっと身長に対してだと自身を納得させていた。
 問題はそれだけでなく、作曲活動にまで及んでいる。シンガンクリムゾンズの為に曲を作っていても、気付けばクロウに歌ってもらいたいだけの曲に仕上がっているのだ。
 歌うのはクロウ以外有り得ない上にバンドのカラーとしては今迄のものと程遠い訳ではないが、これを世に出すには自身が耐えられない。あまりにも独り善がりな感情を曝け出す勇気は持っていなかった。  思うように新曲が作れないストレスと、眠ればあの夢を見てしまうのでまともな睡眠が取れていない。
 寝不足が祟った身体は、本調子とは程遠いものになっていた。その所為で練習にも影響が及んでしまい、普段なら有り得ないミスを繰り返してしまっている。
 本日の練習は夕方から行われていたが、深夜を迎える時刻になっても未だ一度も通しで演奏出来ていなかった。

「やいアイオーン! なんだよその演奏は!」
「ヴ……」

 幾度目か判らないミスの後、ついに堪忍袋の緒が切れたクロウがアイオーンに喰ってかかる。
 普段なら此処で言い返しもするが、原因が原因なだけに口に出来る筈もない。ロムやヤイバの心配を込めた視線が、今のアイオーンには針の筵のように感じられた。
 視線も合わせず、言い訳もしないアイオーンにクロウが苛立っているのは解っていたが、どうにも出来ない。自分自身でさえ持て余している現状を打開する策など、他人に求められるものだとは思っていないからだ。
 だからと言って、このままでいい筈がないことは理解している。ライブに向け既存曲の練習も必要な上、新曲の用意もしなくてはいけない。

「明日も練習も入ってんだし、今日はもう仕舞にして飯でも喰おうぜ!」
「腹が減っては戦も出来ぬからな。故に」

 黙りこくるアイオーンを見かねてか、場の空気を変えようとロムが放った言葉にヤイバも乗じた。年長者二人にそう言われては、クロウにも反対する理由が無い。
 第一、このまま練習を続けていても同じ轍を踏むだけだ。
 いつものラーメン屋に向かう途中、最後尾を歩いていると不意にクロウが隣にやってきた。

「……オマエの音が決まらねぇと、オレの歌も最高のモノにならねぇんだよ。だから、さっさと元に戻れよな」

 それだけを言って、前方を歩くロム達の元へ掛けていく。
 じゃれ合うメンバーを視界に収めた途端、得も知れぬ不快感がアイオーンを襲った。さっきクロウの言葉を受けた時は、歓喜に震えていたのに。

「まさか」

 この感情は。
 思い至った可能性に呆然としてしまったアイオーンは、声を掛けられるまでその場に立ち尽くしていたのだった。
 それから数日。アイオーンはずっと考え続けていたが、あの夜に感じたものに変化はなかった。寧ろ、益々クロウが眩しく見えてしまう現象に嵌まり込んでいた。
 これまでとは違う理由で睡眠が足りていない。加えて、自覚しかけた感情を考えると気が重くなる一方だったが練習に出ない訳には行かなかった。今日はプラズマジカもスタジオを使うと聞いているから、シンガンクリムゾンズが使える時間は限られてしまっているのだ。
 アイオーンがスタジオに到着した時には、全員が揃って各々の楽器のチューニングを行っていた。それに倣い作業に取り掛かろうとした途端に、クロウに手を引かれ倉庫代わりにしている部屋に連れていかれる。
 相手に深い意図はないとはいえ、気になっている相手と二人きり。
 降ってわいた事態に混乱を極めていると、クロウから小さな呟きが零れた。

「ここ最近の様子がオカシイの、オレがあん時に言ったこと気にしてんのかよ」

 伏せた睫毛が細かく揺れるのを目にした途端抱き締めたい衝動に駆られるがぐっと堪えた。

「貴様には問題はない。これは……この神が乗り越えなくてはならない試練に他ならない」
「はぁ?」
「……刻が満ちた暁には、その身に神託が下される」
「つまり、オマエが自分で解決するまで待っとけってコトか?」

 こくりと頷くと、クロウの顏に笑みが浮かんだ。解決は出来なかったとはいえ、アイオーンが悩みに対し、前向きに考えていることが安堵を与えたらしい。
 しかし、それは同時にクロウにとっての誤算でもあった。無防備な笑顔は、目の前のライオンに更なる欲を与えてしまったからだ。本人は知る由もないので、責任など一切ありもしないが。
 刻が満ちた瞬間。それはアイオーンが恋情をはっきり認識し、クロウをこの手にすると決めた瞬間を差す。
 その身が狙われているとも知らず「一応メンバーなんだし、ちょっとくらいは手伝ってやってもいい」と言うクロウに、アイオーンはその前に自分のメロディシアンが濁らないだろうか、と一抹の不安も覚えたのだった。

 

 

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