無名に等しかったシンガンクリムゾンズも、幾度かのライブや対バンを重ねる事によって世間への知名度はそれなりに上がっていっていた。
それに伴い外部からの仕事も徐々に増え、所属する事務所にも様々なミューモンが訪れる機会が多くなっている。先日行われた対バンも、相手バンドが所属する事務所からの申し出で開催されたものだったのだ。
いつものように実家の手伝いを終えたクロウが急ぎ足でスタジオに向かっていると、狭い廊下で見覚えのない男とすれ違った。応接室から出てきたところを見ると、どうやら社長の客らしい。
今迄一度も見たことがないスーツ姿のミューモンに、一瞬気を取られる。スーツの男など珍しくも無い姿だが、クロウには妙に気に掛かって仕方ない存在だった。なにか嫌な気配が背筋を撫でるような、落ち着かない感覚がクロウを襲う。
思わずその場に立ち止まり、男が廊下の角を曲がるまで見送ってしまったが、 あの謎の人脈をもっている卵だからどんな来客があっても不思議ではないと考え再びスタジオに足を向けた。
それから、一ヶ月。クロウがその男を事務所内で見掛けたのは、そろそろ両手では足りなくなってきた程の回数だった。幾度も見ているのに、一度も仕事を回されたことがない。
恐らくプラズマジカ目当てなのだろうと勝手に納得していたが、クロウが男の目的を知るのは、そう遠くない日のことだった。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「今日の練習はここまでだな」
「うむ。何事も根を詰め過ぎては元も子もないからな、故に」
「なぁ、腹減らねぇ?」
「この神の喉は甘美なるTON-KOTSUに誘われている」
数時間の濃密な練習を終え、いつも通りの応酬が繰り広げられる。
空腹を訴えたクロウの発言を発端にいつものラーメン屋に向かう流れになったが、その計画はスタジオのドアを開けた段階で頓挫したのだった。
視界の下、丸い物体が開けたドアに引っ張られるように室内に転がり壁まで行って激突したからだ。途中誰の足にも引っ掛かったりしなかったのは全員がつい反射的に避けてしまったからだが、転がっていた物体はそれを意に介することはなかった。
流石に放置は不味いと思ったのか、ロムが代表して床に伸びている塊に近寄る。
「社長? 何やってんだよ、こんなトコで」
「も、もう少しドアは静かに開けて欲しいですぞ……。アイオーンくんに用事がありましてな。ちょっと残って欲しいですぞ」
メイプルが額を擦りながら起き上がり、アイオーンだけを名指しする。呼ばれた当の本人は、全く心当たりがないのか普段と同じポーズを取りながらもその目を白黒させていた。
アイオーンだけ呼び出すのは珍しい、と他三人の頭にも疑問が浮かぶ。今日も遅刻していたからその件で怒られるのか? でも今更だよなぁ、と小さな疑問が浮かんでは消えていく。
「ラーメンは今度にした方が良いのではないか?」
「そんなに時間は取らないですぞ」
「じゃあ、俺達は先に行って注文しておくから、後から来いよ」
ロムの言葉に、アイオーンが無言で頷く。
数分の遅れて珍竹林にやってきたアイオーンは、どこか心此処に在らずといった風情だった。いつもなら表面が見えないくらいにニンニクを大量投入するのに、今日は一欠けらどころか、擦りおろしをスプーン一杯すら入れていない。ノーマルのまま食べ勧めるなんて、有り得ない光景が繰り広げられていた。
「……ナンカあったのかよ」
定位置と化した隣席から声を掛ける。ヘタレオンの体調や心情など気にしている訳ではないが、一応バンドメンバーとしては大切だと思っているのだ。
「矮小な小動物如きが、関わる話ではない」
誤魔化されているのは解っているが、苛つくので流すことにした。
こんな時、ロムやヤイバなら上手く聞き出せるのかも知れないが、二人共聞くべきではないと考えているのか次の練習について話ながら好みのトッピングを増量させたラーメンを啜っている。 気にしている自分が馬鹿みたいに思えてきたクロウは、アイオーンの事など思考から追い払うように目の前にある漆黒に染められた器に集中することにしたのだった。
全員が食べ終わる頃には、すっかり夜も更け最終列車が発車する時間が近くなっていた。以前よりは売れてきたとはいえ、音楽だけで食べていくにはまだまだ先が長い身は、アイオーン以外生活の為に他から収入を得なければならない。
要は、明日も仕事だからさっさと帰って休もうという流れになる。
次回の練習日の確認を終え、店先で別れて帰ろうとした時クロウの前を歩くアイオーンが一枚の紙片を落とした。
「やい、ナンか落とし……って、もう居ねぇし!」
「アイツ帰る時は早いよな」
「故に」
さっさと帰ったアイオーンを追い掛けるのも面倒だ。どうせ次の練習には会うのだからその時に渡せば良いと考え、クロウはそれをポケットに仕舞おうとした。
不意に、紙面に印刷された文字が目に入る。
「レコード会社……?」
そこには、そこそこ名の知れたレーベルの社名が印刷されていたのだった。
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アイオーンがメイプルに呼ばれた日から、更に数日が経ったある日の午後。
スタジオに向かう途中だったクロウの耳に、困惑したような社長の声が聞こえた。どうやら、話の相手は以前から見掛けていたあの男らしい。
別に聞き耳を立てるつもりもなかったが、話している内容は簡単に把握できた。
スタジオ以外の防音が緩いこの事務所では、薄いドアや壁などあまり障害にはなっていないのだ。それでも、盗み聞きする趣味は持ち合わせていない為聞き流してしまおうと考えていたが『シンガンクリムゾンズ』という単語が耳に届いた途端にクロウの足は止まった。
男は興奮しているのか声音が段々と大きくなっている。対するメイプルは、心底困っているのかげんなりをとした空気を醸し出していた。
「そうは言っても、こればかりは本人の意思優先ですぞ」
「こんなチャンスは早々無いんですよ! 彼の作曲センスは、もっと世間に広めるべきです!」
作曲、という単語で話題の中心がアイオーンであると悟る。この男が事務所を訪れていた理由は、アイオーンを引き抜く為だったのだ。最近売り出し中のアーティストと組ませ、大型新人として売り出せば一気にトップセールスを狙えると熱弁をふるっている。
確かに、アイオーンの作曲センスは他に類を見ない程優れている。ギターの腕前も見目も、平均から一線を画しているのは周知の事実だ。
ただ、中身がそれを一部相殺してしまっているのはアイオーンに近しいミューモンしか知らない事実でもあるが。
足元が崩れるような感覚が、クロウを襲う。感じていた嫌な予感は、これだったのだ。
他バンドへの楽曲提供自体は世間ではよくある話だ。だが、シンガンクリムゾンズ以外が演奏する為の曲を作るアイオーンなど、想像したくもなかった。
ポケットに入れたまま忘れていた名刺に思わず手をやる。硬い紙はクロウの指に捕まると、その姿を無残なものに変えた。
足早にスタジオに向かうと、珍しく他のメンバ―の姿はなくアイオーンだけが先に来ていた。愛用のホーリーアークの調律を行っているのは、これからあの男に演奏を聴かせる為なのか。
一気に苛立ちが燃え上がり、考える間もなくアイオーンの胸倉を掴んだ。ギターを手にしていたアイオーンは、クロウの食って掛かってきた勢いに一瞬怯みはしたが、二、三歩よろめいただけで済んでいる。こんな時にすら顕わになる体格差が恨めしく思えた。
頭ひとつ高い場所へ向かい、怒りを込めた視線を送る。
「やい、アイオーン! テメェ引き抜きされてんのか!?」
「……何故、小動物がそれを」
「んな細かいコトはどうでもいいだろ! まさか、受けるとか言わねぇよな」
ポケットに入れたままだった名刺をアイオーンの胸に勢いよく押し付ける。
ぐしゃぐしゃになった名刺を視界に入れた刹那、アイオーンはクロウが知った原因に思い至ったらしい。びくり、と大きな体が跳ねたのは、受ける気でいたからなのか。
抜けるなんて許さない。許される訳がない。
「コレがこないだから様子おかしかった理由かよ。何をグダグダ考えてるのか知らねぇけどな、俺はオマエが作るのはシンガンクリムゾンズの──俺が歌う曲しか認めねぇからな!」
名刺を握りしめたまま、再度アイオーンの胸倉を掴む。堪え切れない憤怒に染まり力を入れ過ぎた拳は、小さく震えていた。
数秒か、それとも数分経ったのだろうか。クロウの勢いに呑まれたのか、アイオーンからの応えが一向に返らないことに不安を覚える。
思わず、縋る様に目の前にある体に額を擦り付けた。即座に、頭上から呆れたような溜息が耳に届く。
「愚かなる小動物め」
「あぁ!?」
「貴様に言われずとも、俺はシンガンクリムゾンズ以外に神託を下す気はない。この神の聖なる旋律は、相応しい声にしか与えはしないのだからな」
胸倉を掴んだ体勢のまま引き寄せられる。気付いた時には、その長い腕にすっぽりと包まれていた。 手ごと囲まれているから、身動きが一切とれなくなってしまっている。しかもホーリーアークごと抱き締められている所為で、余計に動き辛い体勢になっていた。
突然の状況変化に脳がついて行かないが、何かおかしいという事だけは分かる。普通、この場面で抱擁はしないだろう。
クロウが顎を上げアイオーンに視線を合わせると、目の前にある綺麗な顏が花が咲くように綻んだ。
「小ど……クロウ以外に、俺の曲を歌える者は居ない」
「んじゃ、今日のアレは」
大方、社長から辞退の申し入れがあったが、納得出来ずに更に営業を続けていただけなのだろう。
取り越し苦労でしかなかったと知り、体から力が抜ける。その際、アイオーンの腕に体重を預ける形になってしまったが、余計な心配をさせたのが悪いのだ。その位の務めは果たして貰おう。
ふ、とクロウの表情に喜色が浮かぶ。今くらいは、素直になっても良いと思えた。
「作る曲も、奏でる指も何もかもがオレのものだからな」
「ならば、貴様もその身をこの神に捧げるがいい」
ふたりだけで交わされた誓いは、今後決して違えることはない。
その後、固い意志を感じたのかアイオーンへの引き抜き話が出ることは一切無くなったのだった。